会話のパースペクティブ03 ー「待つ」の先に広がる世界

年明けから、私はA高校のアイディア発想の授業を受け持つことになっていました。それで、夏頃から準備に取りかかり担当の先生と楽しみにしていたのですが、新型コロナウイルスの影響は大きく、授業の回数や時間など大幅に変更せざるを得なくなりました。

それでも、実際に生徒たちに会える機会は有り難く、1月末になんとか実施できた授業では、初めて会う生徒たちの表情や教室の雰囲気を味わうことができて、お互いに「よろしくね」と心が通い合ったような気がしました。

しかし、初回の授業ができたことでひとつホッとできた先に待ち受けていたのは、大幅な短縮授業に伴う時間との戦いです。教室で生徒と私に与えられた時間は30分間!予定していた学習内容の半分以上を動画配信に変え、生徒たちのホームワークも新たに増やしました。授業は反転学習式にして、動画学習の振り返りと生徒同士の話し合いや実践です。

当時を振り返ってみると、序盤の私は「なんとか時間内に教えよう。学習内容を進めるのだ!」と意気込み過ぎていたように思います。そこには、情報の波に飲み込まれまいとして、私と同じように肩の力を入れて座る生徒たち、あるいは、波に溺れて?ポカンとしている生徒たちがいました。

話は少しそれますが、会話の聴き方の中で私が大切にしていることは、「相手を信じて待つ。待てばもっと聞こえる」という聞き手の態度です。会話の中で黙って静かに聴いている時間や間をつくることで、相手は自分自身の気持ちや考えに向き合うことができるようになります。それが、次に、考えを深めたり、整理したり、自分の言葉で気づいたりすることを可能にするので、大事な聞き手の姿勢なのです。相手の気持ちや考え、やり方を尊重するという意味でも大事な態度と言えます。

これは学習プロセスにおいても通ずるものがあって、新たに何かを知った後に、そのことについて自分の言葉や考えが生まれるのを急かさないことが大事です。待ち方も様々で、一人自分のペースで考え課題に取り組んだり、友だち同士、誰かとの話し合いを通して考えを広めたり深めたり…、一人ひとり、その時々に合った方法があるでしょう。私自身の反省からは、「待てばもっと生徒は学ぶ」というフレーズが浮かんでいます。もちろん、教師や講師は、教室でも自宅学習でも、生徒たちが自分で学びと向き合えるような「待ち方」の工夫をしなければなりませんが。実はこの時、一部の生徒たちは、好きな時に、好きなやり方で学習課題に取り組むという環境をうまく活用していました。教室という枠の外に出ることで、自分のペースで学ぶことができる生徒がいるというのは新たな発見でした。

最後に、「待つ」ということについてもう少し書きたいと思います。行動としての「待つ」は、心の態度に深く結びついているため、意識として持つだけでは弱いのです。(実際に、生徒たちを待てない場面もあったなぁ…)

相手を信じて待つ。相手に、自分にその力があることを知って自信にしてもらいたいと願って待つ。この文章を書きながら、私は「待つ」という言葉のもつ難しさと向き合っています。