会話のパースペクティブ02ー言葉の前の心の持ちよう

「ああ、(息子の)この熱じゃあ保育園は無理そうだね」(夫)
「そうね。今日の予定はどう?調整できそう?」(私)

夫はスケジュールを睨んで空き時間を捻り出そうとし、私も今日の予定が崩れるという予感にどきどきしながら病児サポート(当時は私の実家の両親)の依頼を進める。息子が体調を崩した日の朝、私たち夫婦の会話は、いつもこんなふうに始まる。

「今日は〇ー〇時が外せない予定なの。この時間、(息子を)みてもらえる?」(私)
子どもへの愛情は二人とも同じなのだ。けれど、看病ということになると無意識のうちに私が主担当になり、気がつくと夫への私の話し方も、できればお願いという依頼口調になる。子どもが具合悪そうにしている姿に心配な気持ちがどんどん膨らみ、仕事をどう調整するか思案を巡らせ、予定も気持ちも切り替える。

「あなたばかり仕事をしていてずるい!」
息子の看病をしていた5日目の朝、私の中に少しずつ溜まっていた思いが口をついて出てしまった。声のトーンは明るかったし怒り口調ではなかったが、ずるいという音の後の沈黙と夫の戸惑う様子に、「あちゃー、ずるいって言葉のチョイスはさすがにキツかったかなあ」と反省。

「あ〜 言えてスッキリした!もう大丈夫。」
と声を掛けて、私は気分良く息子の元へ向かった。私が言い逃げをしてしまったものだから、そこで夫婦の会話は終了。

息子が風邪をこじらせて入院する直前の私と夫の葛藤場面である。


ここで私が見つけた快く生きる術は、”自分を相手と同様に対等に扱う”ということ。
我が家では、夫も私も家族の稼ぎ主であり仕事への責任を持っている。にもかかわらず、どこかで私は自分より夫を優先し、私自身を我慢させていたと思う。そこに気づいたら、夫との会話の出だしも違ったし、「ずるい」と言う前にできることがあったなと思えてきた。「自分ばかりやっていて!」という抱え込みモードに陥る前に、自分を相手同様に対等に扱いたい。互いのスケジュールをすり合わせて、役割分担や助け合いの方法を考え合うのだ。

自分を相手同様に対等に扱う?言うは易しではないかー!と、ツッコミが聞こえてきそうだが、その方法は、人それぞれに探求しがいがあるものだ。

ひとまず……、自分に”気持ちや考えを理解し肯定する場所”を確保することから始めようと思う。自分の考えや大切にしていることなど軸を明らかにすることで、後悔ない選択につながる(自分でその状況に対して舵取りをする)からだ。こういうとき、私は、読書時間や珈琲、焼き菓子なんかがあると効果的。そして、気の置けない人とのおしゃべり時間を作り、自分が思うこと感じていることを聞いてもらうのだ。

次、同じような場面がやってきたときの自分の振る舞いが楽しみである。

もう一つ、「ずるい」発言の後の夫婦の会話はどうだったかというと、
シュッシュッ シュココココシュコ  ザーー

しばらくしてトイレ掃除の音が奥から聞こえてきたのだった。夫なりに育児の役割分担について考え、態度でアンサーを返してきたのだと思い、私の胸の内の炎上もすっかり鎮火されたのでした。