会話のパースペクティブ01 ― 言葉の「器」になる
高校1年生の授業で、生徒たちと新たなアイディアづくりの学習をした。机や階段の手すり、蛍光灯など、自分の身近な物に「お目々シール」を貼り、”擬人化する”ことによって物事の捉え方を変え、新たな発想をするというアイディアワークである。
ある生徒が消しゴムに「お目々シール」をつけていた。
「あなたのアイディアは消しゴムなのね。なんで消しゴムにシールを貼ったの?」
と、声をかけると、彼女は、
「なんとなく。」
と答えた。
「なんとなくでも、消しゴムに目をくっつけたのはなぜなんだろう?」
「・・・。」
「そう。」
と、私は無言の彼女に相槌を打った。
彼女が「なんとなく」したことはひらめきや直感のようなものかもしれないが、そこに彼女の考えや思いが表れているのではないだろうか。私は、彼女の思いが言語化できるように、その場で彼女とのいくつかの会話のパターンを考えた。
- なんとなくと思った理由が君には何かあるんじゃない?と質問を重ねる。
- ナイスアイディア!と褒める。
- なんとなくじゃないでしょう、ちゃんと考えて!と指示する。(「なんとなく」は「何も考えていない」と決めつけにもなるけれど。)
- 考えが出てきたら教えてね、と言ってその場を離れる。
考えながら、彼女を見ると、消しゴムの「お目々シール」を見ながら何かを考えているような表情を浮かべている。私は少しの間一緒に待ってみることにした。
「消しゴムがこっちを見ているね。」
と言って一緒に消しゴムを眺めていると、彼女は口を開いてアイディアを話し始めた。
「消しゴムに見張られている感じがして。勉強しなよって自分に言っているような気がする。あ、うん、自分の勉強を戒めてくれる存在なのかも。そういうキャラがいたらいいなって。」
時間にして数十秒であったと思う。私は今回 彼女の考えを待つということを選んだが、そのことによって、私たちは会話の間や沈黙を一緒に過ごしたとも言える。
実のところ、数十秒間の待っている間にも、私の頭の中にはいくつもの質問が生まれていたし、どうやって彼女の考えを言葉にしてもらおうかと質問のタイミングを伺っていた。ただ、それらは私が答えを急いでいるために質問したいということも分かっていたので、私の都合で質問攻めにすることを立ち止まることができた。授業時間や仕事の会議の時間、普段の会話においても、私たちは「考えて言葉にする時間」もそれを「待つ時間」もあまりにも少ないと思う。
私たちの「なんとなく」の奥にはひらめきや直感、アイディアや意図など、言葉にする以前のものが存在している。「なんとなく」の言い始めには、本人もそれが何かはよくわかっていないことが多い。そこで、一度、相手が考える時間を待ってみる、表現できる空間や手段など共に立ち止まって探してみることが大切になるのだろう。
言葉を待つ「器」のような聞き手になれたらと私は思っている。会話は、聞き手がいて話し手が自由に言葉を増やして行けるという作用があるためだ。
そういえば、私も昔は「なんとなくこうなんだよ」っていう感覚を持って、そのまま主張していた気がする。安易に自分の感覚に意味づけをして片付けてしまうのではなく、こんな感じ?どんな感じ?という自分への問いをもう少し大事にしてみたい。